もどる

    かけはし2021年3月29日号

何よりも社会政策大転換が起点


極右の台頭

ファシズムへの集団免疫

ジルベール・アシュカル


極右の復活と
パンデミック



 「集団免疫」、すなわち疾病への抵抗力を高度な割合で獲得した結果としての人口全体の免疫化の観念は、コヴィッド19パンデミックの始まりから広く通用してきた。医学から用語を借りることは社会科学では1つの伝統となってきたが、現在の世界的な情勢はそれをもっと多く誘発している。こうして、近年の極右政権の世界的広がりを比喩的にパンデミックと表すことには、合理的な土壌がある。ちなみにそのような政権には、ブラジル、ハンガリー、インド、イタリア、フィリピン、ロシア、さらに米国のように変化に富む諸国で、ファシズムの中核的なイデオロギー的教義のいくつかを再生産している政治勢力が管理しているか共同管理している政権が含まれる。
 この極右のパンデミックが始まった時点は1980年代に遡り、論集著作『ファシズムとネオファシズム』の1編集者が以下のように2004年に認めたように、その後の10年に強力に押し上げられた。ちなみにそこでは「西欧における過激派の活動の復活は1980年代に始まったが、共産主義の崩壊は大陸すべてを貫く過激派右翼の上げ潮に結果した。1990年代を通じてファシズム、あるいはそれに似たようなものが突如として、また予想外に復活した」と述べられていた。第一次世界大戦に続いた30年の古典的なファシズム同様、この「ネオファシズム」――それが歴史的な類似性とわれわれの時代に調和した形態刷新の両者に関連しているからには、おそらく最良の名称――は、それが展開している諸国に応じて、さまざまな形をとっている。

ファシズム台頭の客観的な土台


 カール・ポランニーは、彼の1944年の古典である「大転換」の数ページを、ファシズムとファシストイデオロギーの大きな多様性の強調に当てていた。そこで彼は、「事実として、その出現への諸条件がいったん与えられれば、1国をファシズムに免疫にする背景――宗教、文化、あるいは民族的伝統の――の類型はまったくなかった」とコメントした。彼は「『完全なファシズム運動の存在』も、彼が名付けた『ファシスト情勢』の兆候の不可欠な部分ではなかった」とまで断言した。少なくとも重要なものとしては、非合理な諸観念、レイシスト的観点、そして民主的な装置に対する憎悪、のような兆候があった。
 ポランニーの以下のコメントは、米国で進行中のできごとに照らして読む時、寒気を催させる。すなわち「普通には大衆的な追随を目的にしているとはいえ、ファシズムの強さに秘められた潜在力は、その信奉者の数で計られるのではなく、ファシスト指導者がその善意に訴える、そしてそのコミュニティでの影響力が不首尾に終わった反乱の結末から彼らをかくまう上で当てにできる、そうした高位の人物がもつ影響力で計られる」と。
 ハンガリー系米国人思想家にとって、ファシズムは何よりも、「民主的な諸制度すべてを犠牲に達成された市場経済の改革」を狙いとする「自由資本主義が到達した袋小路の解決」だった。これに照らせば、1945年後にほとんどの西欧諸国で達成されたファシズムへの集団免疫は、枢軸国の敗北の結果であるだけではなく、何よりも自由資本主義の袋小路に対するオルタナティブ的回答の結果でもあった。そしてその回答こそ、「自ずから規制する市場」という理念を投げ捨てたケインジアンの民主的な回答だった。ちなみに先の市場理念をポランニーは「正真正銘のユートピア」と呼んだ。
 社会科学のもう1つの、もっとはるかに古い古典で、社会学の創始者であるエミール・ドュルケムは、彼の1897年の著作『自殺』で早くも、「1世紀全体の間、経済の進歩は主に、産業の諸関係をあらゆる規制から解放することに存してきた。……政府は経済生活を規制する代わりに、その道具と従者に成り果てた」という事実を嘆き悲しんでいた。フランスの社会学者にとって、この経済的な規制解体は、彼が「アノミー」と呼んだもの、すなわち「憤激といらついた疲労感の状態」の主な根源だった。そしてそれは、経済的安全保障の喪失と社会的パターンの崩壊からの結果だった。
 アノミーは諸個人を、あるタイプのアイデンティティグループへの避難所探しへと、そして彼らの憤激を――それが内側へ向けられる(自殺)ことがなければ――彼らの社会的条件の高まる不安定さに責任がある他のアイデンティティグループへの振り向けへと、導く。そして後者は主に、レイシズムあるいは外国人排撃の道を経由している。

ファシズム台頭に並進したもの


 こうして、1980年代に始まるファシスト類似のイデオロギーと運動の台頭は、排他的なアイデンティティグループの他の諸タイプに起きた台頭と歩を並べて進んだ。そしてここで言及した他のタイプのうちでもっとも明白なものは宗教的原理主義だ。
 これは、ファシズムの復活に関する上述の著作の編集者であるエリック・ワイツとアンジェリカ・フェンネルが行った観察と以下のように完全に付合する。つまり「右翼の復活は、まさに多くが1990年代の政治的かつ経済的な分解への応答だった。その分解には、実質失業、東西の欧州両者の福祉国家がそれまで提供してきた社会保障の腐食、さらに郊外住宅街の悪化が含まれている。また、1945年以来、欧州の南北軸と東西軸を貫いて起こった広大な規模の移民人口に対する1つの応答もあった」と。
 実際、マーガレット・サッチャーとロナルド・レーガンが先導して1980年代に始まった新自由主義の猛襲――私有化、社会的支出の削減、富裕層への減税と並んで、「規制解体」をその主な目標にした猛襲――と、何十年もの周辺化を経たネオファシズムと宗教的原理主義のような現象の台頭、この間にははっきりした否定できない相関関係がある。同様に、2007年に引き金が引かれた大不況が、2015年に欧州に殺到したほとんどがシリア人難民の大波が与えたと同じに、ネオファシスト諸勢力に大きな後押しを与えた。

新自由主義との世界的な決別を

 双方の危機から結実している諸々の事実は、今もわれわれの世界に極めて多くの影響を与え続けている。そして、現在コヴィッド19パンデミックの結末として懐胎中の巨大な経済的危機は、それに1945年後に採用されたものに似た経済政策による対抗が行われないならば、ただ唯一全世界的にアノミー的諸条件を厳しく悪化させる可能性がある(反ロックダウン運動の極右による利用は、1つの指標だ)。
これに、最新の米国大統領選におけるドナルド・トランプの敗北に意味があったとしても、しかしそれは確かに第二次世界大戦におけるファシスト勢力の敗北に比較できる広がりのものではなかった、という事実を加えよう。彼の敗北は、彼の支持者の不満が理由で起きたのではなく、2016年とは異なり、トランプが代表するものに関するあり得る幻想がまったくなく、したがって彼に票を投ずる意味にはほとんどいかなる曖昧さもないその時に、得票数の巨大な上昇があった(支持者1100万人の上乗せ)にもかかわらず起きたのだ。
同様に世界的レベルでも現在、ネオファシズムの衰退という兆候はまったくない。ジャイロ・ボルソナロ(少なくともつい最近までは)、ナレンドラ・モディ、あるいはヴィクトル・オルバンのような人物の絶えない人気は、予見できる将来における極右のパンデミックのいかなる衰えも提示していない。
戦後期のそれのように、ファシズムに対する集団免疫の新しい状態を達成することは、もっとも有力なネオファシズム運動の政治的な敗北、および彼らのイデオロギーと対決する断固とした闘い、を必要とするだけではない。それはまた、もっとも決定的に、過去40年にわたって支配的となってきた新自由主義枠組みからの世界的な移行、をも必要とする。(「ニューポリティクス」より)(「インターナショナルビューポイント」二〇二一年3月号) 


もどる

Back